航海士としてのエコノミスト(「経済学に意味はない」への反論と経済学の意義について)

航海士としてのエコノミスト

私は高校生まで数学が苦手であったが、高校2年生の時に青チャートという高校数学を網羅した本を手に取り、その体系的な章立てと説明のわかりやすさに取り憑かれた。学年でもビリを争う数学力だったが、夢中で1冊の本を勉強した結果半年ほどで学年で1位の友人より高い点数を取れた(その時はたまたま彼が解けなかった問題が解けたのだが、それでも嬉しかったのだった。150人中で10位だかその辺だった。)その教科書で用いていた理念は、「海図――浪風荒き問題の海に船出する若き船人に捧げられた海図――問題海の全面をことごとく一眸の中に収め、もっとも安らかな航路を示し、あわせて乗り上げやすき暗礁や浅瀬を一目瞭然たらしめるCHART!」としている。学習という海の中で、勉強を進めるべき方向性や気をつけるべきポイントを示すことが、教育者・参考書の意義であるのだ、ということであり、事実、その海図によってよい海流に乗れた私はスムーズに数学の海を現在まで航海することができている。

この比喩を経済学に当てはめてみたい。この世の経済とは広大な海である。国とは、その海を航海する大きな船である。そして、構成する乗組員も、オールを漕ぐもの、そのオールを作る人、魚を取り食事を作る人、帆を上げる人、船を整備する人、そして舵を取る船長と、多種多様である。船は彼らの力によって自然と進んでいくだろう。

しかし、海は時に荒れ、晴れた日は時に嵐となり、魚は不漁となり、船は暗礁や浅瀬に乗り上げるかもしれない。だからこそ、人々は必要とするのだ。この経済の海の海図を、そして船の進むべき安泰なる航路を。その海図の作成、そして航路の提示をする航海士こそ、経済学を修めたエコノミストである。

航海士の役割は他にもある。厚労省の職業情報提供サイトにおける航海士の職業説明によると、「航海士: 船の総責任者である船長を助け、甲板部員を指揮し、航海計画に基づいて航海や荷役に関する業務を担当する。」となっている。甲板部員の指揮と、荷役業務である。これは、他船との衝突や座礁などを避け、航海の進路を保てるように乗組員に指示を出し、また食料、燃料、貨物、船体や計器の状況を確認し、補給や配分の手配を指示するということである。これらもまた同様に、エコノミストの役割である。

言い換えれば、社会経済・市場の状況の解析と経済理論こそこの海図の作成作業であり、経済発展の理論の構築と財政・金融政策の立案こそ航海計画の策定である。そして、GDPから株価に至る経済指標の確認こそ航海計器の確認作業であり、消費者・企業の分析は乗組員の行動の分析である。このような確認、分析作業が存在するからこそどのようなメカニズムで国が現状動いているか、そしてある方向に向かうために必要な制度、インセンティブもわかる。これらが甲板部員の指揮という仕事になる。また、都市や経済資源、富の再分配の研究こそ船の食糧・貨物の配分・補給作業にあたるもので、これらによって豊かで公平な国、つまり船内環境を保つことにつながるのだ。

航海士の必要性

このようなエコノミストの役割は、確かに船が順調に波に乗り進んでいる時は気にならないものかもしれない。また、自らの周囲を見渡してもその影響を感じることができないかもしれない。しかし、それを気にしない影響は確実に表れるものだ。正しい海図が作れていなければ、暗礁に気づくことができない。一人一人の乗組員は目の前の水面を見て、魚が多ければその魚群のいる方向に夢中でオールを漕いで向かってしまうだろう。あるエコノミストは言うだろう、そちらは危ないぞ、向かってはいけないと。皆は大漁だ、大漁だ、と言い進み続ける。気がついたら、船は暗礁に乗り上げているのだ。床から水が溢れ出し、獲った魚が泳いで逃げ出す時に初めて、壊れた船底に気が付く。そして人々はパニックになり、財を失い、ここからどうすればよいのだ、とエコノミストに問う。すると、お金をかけて船を修理し、時間をかけて船の水を外に出し、暗礁を乗り越え、正しい航路に戻るのだと、答えるだろう。エコノミストが活躍する時が来た。しかし、その回復は長く険しい道のりである。その間に他の船は順調に進むだろう。つまり、暗礁に向かう前の注意こそ、本当は気にするべきだったのだ。

この状況の意味するところは、バブルと恐慌である。自然に任せれば、国の経済がうまくいくと言う訳ではない。人々が目の前の水面を見て、必死にオールを漕ぐと言う労働によって、国の経済は成長しているように見えるし、大漁だ、と経済的に豊かにもなるだろう。この時は多くの資源によって貿易もうまくいく。でも、暗礁に乗り上げる、つまり恐慌が起これば、その後が大変なことは今の日本を見ればわかるだろう。経済の回復には、たくさんのお金を使った経済修復が必要になるし、そのように多額の財政出動と赤字財政の維持によってなんとか国を維持させて、しかしこれまでの30年間はほとんど暗礁の上を運航しており、多少の追い風が吹くことはあっても、よい海流にはほとんど乗れていないようである。(イザナミ景気が多少の追い風であったように見える。)

他の船が持つ海図と自らの乗っている船の海図は、その記法・理論は共通しているはずで、しかし描かれるべき場所や航海路は異なっている。乗組員も計器の数値、積荷ももちろん異なるし、それらの確認と適切な指示を出すことには多くの人員が必要だ。だから、国という船の正しい運航と、その船内の管理において、経済学は必要であり、大きな意味があるのである。

我々の船の現状について(金融緩和とゼロ金利政策への批判)

船の管理室によるおかしな行動と資源庫の苦しみ

最近は私も船の乗組員として、他の乗組員と仕事をしており、話す機会も多かった。仕事の状況は芳しくはないが、ある程度は生活を維持できているようだった。話を聞けば、ここ10-20年くらいは同じくらいの食糧がもらえているんだとのこと。ほほう、と思い、船の管理室へ近づいてみれば、確かにたくさんの食糧が甲板への運ばれている。どうしたものかと、さらに資源庫への目を向ければ、なんと乗組員の保管する資源を使っているではないか。あたかも砂糖からわたあめを作るように、彼・彼女らの資源を膨らましてみせて、この管理室はこれまで同じ量の食糧配給を実現していたのだった。乗組員は少ししか気が付くことができないだろう。見た目の大きさは変わっていないので、中身が少ない気がするぞ、としか気がつかない。だから、これまでと変わらない働きで、変わらない報酬をもらうことを続けることができる。そして、まただからこそ、管理室に文句も入らないだろう。

しかしながら、見た目の大きいわたあめになろうが、その実質的な価値はせいぜいその元となる少量の砂糖に少しプラスされた程度だ。隣の船にそれを持って行っても、その砂糖分の価値としか交換できない。最初は大きな砂糖の塊だったのに、今はそれが少ししかないので、必要なものと交換できなくなってきているのだ。皆のお腹も膨れているように見えて、実は栄養不足になっている。気がつかない経済的な困窮が、至る所で起きているのだ。

同僚の乗組員には、元々資源庫で働いていたものも多く、そこでの話を聞いてみた。すると、過去この船で最も豊かと言われた資源庫ですら、今は状況が芳しくないという。というのも、これまでは資源庫は資源を保管しておけば、そこから管理室への貸し出しからの報酬だけでも十分運営ができたそうだ。しかし、今やその報酬がなくなってしまい、なんとか乗組員への貸し出しで利益を上げる必要が生まれているのだと。しかも管理室からの指示で前述の嵩増しの状況まであるので、そのままの資源の保管では、嵩増しされている甲板上の資源と比べれば相対的に資源の量が減ってしまうので、なんとかして貸し出しを進めているが、火の車なので、今は作業員を減らしているんだとのこと。彼もそのようにして減った作業員の一人だったんだと語っていた。

この話において、管理室からの報酬が出なくなった背景は、管理室自身のお金が不足していることと、資源の甲板上への持ち出しの促進によって乗組員がもっと新しい道具を手に入れたり、他の船から人員を呼び込んで、早く暗礁から乗り上げることを加速させたいという意図があると見える。しかし、当の乗組員は前述の嵩増しの影響もあり、あまりその必要性を感じていないようだ。ただ資源庫の同僚ような人々が苦しんで、またなんとか貸し出そうとした結果として利益の上がらない貸し出しも増えてしまっているという現状が見えてくる。

金融緩和が怠惰と腐敗を引き起こす

今のこの管理室、乗組員の状態は、健康的なのだろうか?他の船はすでに大きく進み、より豊かになっている。働く環境も良くなっている。アジアという似た環境で走る韓国や中国、シンガポールやタイなどは、アジア通貨危機を乗り越えて今ではよい海流を進んでいるようだ。今や平均給与は韓国の方が高く、タイの部長クラスの平均年齢は日本よりも5歳以上も若いのに、日本のそれよりも高い。アメリカに至っては、良い航海の方法と優れたオールの開発や運用をする乗組員の存在により今や日本の1.7倍の平均給与となっている。(2021年の平均給与 アメリカ$58,260(約775万円)、日本455万円、ドル円レート¥133)

だからこそ、急いで船を進めようということは理解できる。しかし、それは過去の失敗を忘れているようにしか見えない。「今、急いで」経済的に豊かになることが重要なのか?それは、大漁だ、大漁だと、「目の前の」豊かになれそうな方向に船を進めた高度成長期の終わりと同じであろう。むしろ、長期的に安定した航路を描き、指示をするために、楽な嵩増しによる批判への対処をやめ、現実の海をしかと目に焼き付け、錆び付いた計器を取り付け直し、新しい海流に乗るために正しい方法で乗組員に指示を出し、オールを漕いでもらう必要があるのだ。

管理室による見た目の大きなわたあめの製造とは、すなわち(異例の)金融緩和である。国の製品の競争力が落ちてきた。相対的に他国から輸入する製品の値段が上がり、物の値段が上がってしまう。サービスやものが売れないから、企業の売上が下がってしまう。このままでは、物価が上がる一方で人々の給与は減ることになるが、(名目)給料を下げるには大きな社会的反発が存在する。つまり、乗組員に報酬として渡せる砂糖の量が減って、またそれで交換できる財の価値も減る中で、なんとかしなければいけなかった。このままでは大変だ、ということで、じゃあわたあめを作ろう、となる。金融緩和とは、国がお金を経済にたくさん供給することで、全体としての実質の富の量は変わらないが、見た目の(名目の)富の量を増やし、手元に渡る(名目の)給与を保つということなのだ。

誤解してはいけないのが、金融緩和という政策自体が悪いわけではない。ある程度の金融緩和は、実質的な富の量が変わらない一方で見た目上の貨幣量を増やすことができるので、全体的な(名目の)給与の上昇に貢献する。給与の上昇は全ての会社に一律ではないので、このことは、社会の新陳代謝を促し、経済発展に貢献する。業績の悪い企業は、今までと同じ給与を保つだけで相対的に給与が下がり、従業員は業績の良い給与の上昇へ移動するだけで、成長企業が残る社会となり、また結果として失業率の低下も認めることができると言われる。

ただ、現在のやり方ではその効果は出ていない。業績の悪い企業でも、給与が変わらないでいい、となっているだけなのだ。欲しかった転職者数の増加の影響は微量であり、それがこの10年強続いている。(ビズリーチ 転職数(中略)低下より)

しかし、より根本的な問題点としては、人々が手元の額面の給与で満足してしまうことだ。ケインズは「一般理論」で、名目賃金と実質賃金に対する労働者の反応についてこのように話している。

実質賃金の全体水準を決めるのは、個人と集団間の名目賃金をめぐる闘争だと思われることが多いのですが、賃金闘争は実はちがう狙いを持っている。

まわりと比べて相対的な名目賃金の低減に合意する個人や集団は、実質賃金の相対的な低下に苦しむ(中略)ので、(中略)彼らとしては名目賃金の低下には抵抗するのです。

一方で、お金の購買力が変わることからくる実質賃金低下すべての抵抗しても、実用的な意味はありません。それはすべての労働者に同じように影響するからです。 そして実際、こうした形で生じる実質賃金の低下は、よほどひどい損害を引き起こさない限り、一般に抵抗は受けません。

ケインズ 「一般理論」

つまり、労働者は名目賃金を主に気にするもので、実質賃金の低下に対しては余程のことがない限り抗議をしないのだ。せいぜい、ああ最近は果物がお高いわね、となるだけである。このことを逆手にとって、気がつかない愚かな国民よ、と嘲笑いながら、政治は楽をしているのだ。この蛮行を見過ごしてもいいのだろうか。

貨幣の増加が経済の破壊につながる理由

アダムスミスが指摘するように、国が豊かになるとは、すなわち国民一人ひとりが豊かになることだ。国民を豊かにさせようというのは間違ってはいない。ただし、国民の「見た目上」の給与が増えることで、彼・彼女らが豊かになっているとはいえない。このことは、彼、アダムスミスの国富論をはじめとして、重金主義として過去十分に批判された議論である。

貨幣を持つことは手段であり、決して目標にするべきではないのだ。

だからこそ、この重金主義への批判をもう一度ここで説明する意義がある。

重金主義は17世紀のイギリスにて行われ、思想としては金銀こそ国の富であり、それを守ることが国の発展につながるというものだ。そして、そのために彼の国では金銀鉱山の発掘と同時に、当時問題視されていた海外貿易による大量の金銀輸出の禁止を行った。それにより、国内の毛織物をはじめとした産業を守ろうという意図もあった。結果はどうであったか想像がつくだろうか。

財の量は貿易の禁止で減るのに、金銀ばかり増えるものだから、国内の金銀の価値は相対的に下がり、物価は高騰、インフレーションを起こして商品は売れなくなり、産業は行き詰まりを見せたのだ。(経済学史 川又雅弘)

この物価と貨幣の関係については、フィッシャーにより定式化された貨幣数量説が背景にある。貨幣数量説とは、経済における貨幣の総取引量が変わらないような短期間に貨幣の量が増えれば、それに比例して物価は上昇する、という原理である。

貨幣とは究極、手段であり、目的ではないのである。現在の日本でも、同様である。すでに貨幣(ここではmoneyの意味)ばかりが増え、物価高騰が起きており、国内産業の行き詰まりが発生している。円の価値は相対的にどんどんと下がり、つまり円安となっており、この止まらない動きは非常に危険だ。またある臨界点を超えると、ハイパーインフレーションへ飛んでしまうような不安定さも持っている。それが起こる瞬間とは、静まった池に飛び込む一匹の蛙のように、何かのショックがポンと与えらた瞬間である。現在の金融システムはグローバルにつながっているため、このショックというものはなんと地球上のどこでも構わないのだ。早速、時期の予測はつけられそうもない。しかし、この船の向かう先が現状良くないことは明確だ。だから、このわたあめ大作戦は今すぐにやめなければいけないのだ。

わたあめ大作戦を止めた先の絶景

このわたあめ大作戦を終えることは、しかし残念ながら、とても勇気のいることである。各界からの批判は避けられない。企業からは給与を下げる必要が出るし、結果として業績が伸びないことが公になってしまう。隠していたことを開示させられるのは、ベッドの下に隠している本を見られた時の中学生男子のように、とても困ることであろう。もちろん、それよりもずっと大きな隠し事であるが。また、労働者は手取りが減ることに大変な反発を覚えるだろう。経済指標を見ても、円建ての国内総生産や経済成長率は低下してしまうから、議会内部からも国民からも適切な説明ができなければ批判は避けられないだろう。

ただ、その効果は大きい。まず、円安とインフレのエンジンが止まるので、企業は商品・サービスの値上げと品質低下のパラドックスから抜け出すことができ、安定して販売計画を立てて経営をすることができるようになる。このことと高すぎるインフレがないことは、安定した投資戦略へと繋がる。そして何より大切なことが、政府、経営者、そして労働者は現状のままでは相対的に生産力が落ちており、発展の必要があることに気が付くことだ。インフレがない状態での政府による財政支出と、積極的かつ安定的な投資と経営、そして下がる給与に対抗するために自ら落ちゆく企業を離れ転職や起業を行う流動化した労働者。

この時になって初めて、過去行っていた管理室から資源室への報酬の停止、すなわちゼロ・マイナス金利政策が生きてくる。この時、投資をしたい企業はようやく借りたいと積極的になり、また多くの労働者も起業のためにこれらの資本を否応なく必要とする。そうして、彼・彼女らの努力は、国の資本力、技術力、労働力の成長へとつながっていき、国際的な競争力を伸ばしていく。ついに、これらは新しい資本、技術や企業、労働力を他国からも呼び寄せ、それらをもとにさらに発展をするという、良い海流へと船を乗せることができるのである。他の船と良好な距離を保つこともでき、豊かな外洋資源と船内環境に恵まれるはずだ。その時に船から眺める海の景色は、今とは全く異なるだろうが、絶景になるに違いない。

後書き

バブルの説明のところは、本当は土地価格への上昇信仰と、国による財政支出の引き締め不足と、金融機関による不動産と関連企業への過剰投資による大きすぎる信用創造に乗せられた国民、ということであり、船の例に応用するなら、調子に乗った資源室のにいちゃんたちが高そうなオールを大量に乗組員に貸し出して、全乗組員が財産叩いてそれを借り、一生懸命漕いだ結果で座礁し、オールは全て紙でできていたので溶けてしまった。というオチでも少し正確になったよいのだけど、エッセイの最初の方でこのわかりづらい例えは遠慮しておこうという配慮で簡易的にしておいた。

参考リンク

職業情報提供サイト(日本版O-NET)航海士

未来人材ビジョン

転職サイト ビズリーチ 転職希望者数に「男女逆転」現象 政府統計が示すコロナによる市場変化

参考本:経済学史 川又雅弘

また、チャート式についても一応紹介。

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